常住寺恒例の生花も四十年目となりました。玄関を入って、ご覧なる生花の部屋は、昔板の間の納骨堂の時代、お釈迦さまが安置されていた場所で、床の間のあたりに祭壇があり、その下に合葬洞がありました。
先代住職の師父の命令で、この洞に下りて千に近いお骨を素手で新築のお釈迦さまの下に遷した経緯があります。その納骨堂も台風の被害により、平成十九年新築の時を迎え、現在の蓮華堂となりました。この間、三度合葬の仏さま達と素手のお付合いをしたわけです。毎年十二月三十日に、一人徹夜で生けて春彼岸まで、この花々の命を持たせるのは、合葬の仏さまへの供養花だということと、私にとってこの部屋が忘れ得ぬ場所であるからです。私の体力の限界を思いますと、この度の合葬堂改装が永き未来への供華となりますことを祈る次第です。
当寺の正面玄関には、毎年12月30日に高さ2メートルにもなる巨大な生け花が飾られます。
30年程前まで納骨堂だったこの場所に、供養の気持ちを込めて飾り始めた生け花。
ある年、大雪で倒れた境内の松を使ったのをきっかけに、現在の巨大生け花が通例となりました。
当寺の住職が毎年12月30日から翌日の朝にかけて生けるこの供養花を、一目見に檀信徒や地域の方だけでなく、遠方から足を運んで下さる方もいらっしゃいます。
3月の春彼岸まで飾られます。
平成22年6月20日
日蓮宗北海道南部第1地区第26回護法統一信行結集大会に際し、「紙芝居 日持上人物語」と「法華伝承日持太鼓」が共に奉納上演されました。
霊鷲山のお釈迦様が法を説いた同じ場所で、一行は報恩感謝の祈りを捧げ、旅行者全員と一心寺と常住寺檀信徒の御先祖の供養のお題目を一心に唱えた。
法要のなかで導師が述べた奉告文。
中島妙江上人の長年にわたる功績を称える。
法要も終わり、別院の前庭で少女達の祝賀の踊りを楽しむひと時
法要の後、祝辞を述べる私。その右に三日前に現地に到着、準備を為した中島住職とタイの尼さん達が列座